『田園の詩』NO.56 「≪におい≫今昔」(1996.10.29) 暑くも寒くもないこの時期、工房の窓を開け放って仕事をしていると、外からキンモク セイの甘くふくよかな香りが漂ってきます。沈丁花、クチナシなど、季節ごとにいずれ劣 らぬ香りを楽しませてくれますが、キンモクセイは木も大きく、どこの家にも植えられて いるので、圧倒的な強さでその香りは私達にせまってきます。 ![]() 工房前の庭の沈丁花です。元日、2日と少し降った雪の中、じっと咲く時期を まっています。早いものはもう咲いてました。 (09.1.2 朝 写) ≪におい≫といえば、昔は田舎では、快い≪香り≫よりも不快な≪臭い≫の方が多 くありした。畑に撒かれた下肥は≪田舎の香水≫と揶揄されていました。現在、有機 肥料の野菜作りをしている人(私もそうですが)でも、これを利用することはまずあり ません。 家畜の臭いも相当なものでした。ピーク時には一万羽をこえた鶏舎が近くにありま したが、その前の道を通る時は、鼻を押さえて早足で行き過ぎたものです。その鶏舎 がなくなって、もう随分経ちました。 最近まで残っていた家畜といえば牛です。かつては農耕用として、近くは肉用として 各家ごとに飼われていました。風向きによって隣家から牛の臭いがしてくると、特に臭 いに弱い女房は、夏場でも戸を閉めて防いでいました。その牛もいなくなって数年に なります。 農家が家畜の飼育を止めたのは、採算が合わなくなったのが第一原因ですが、高齢 になり体力が続かなくなったためでもあります。 家畜の臭いは、農村では、人の営みから必然的に発生する仕方のないものでした。 その臭いが消えることは、不快と感じていた人には歓迎されることでしょうが、反面、 人の営みが段々狭くなっていることの証拠でもあり、少し寂しい気がします。 幸か不幸か、現在、田舎では自然本来の純粋な≪におい≫に満たされつつあります。 反対に都会は、車の排気ガスを筆頭に、人為的で不快な臭いが充満しているのでは ないでしょうか。 キンモクセイの香りに酔いながら、昔と今、田舎と都会の違いに思いを巡らしてみま した。 (住職・筆工) 【田園の詩NO.】 【トップページ】 |